去る3月9日に74年前の3月10日に起きた東京大空襲についてのガイドツアーを行いました。

History for peaceとしてこのような企画は初めてでしたが、スタッフ一同企画の成功を祈って準備を重ねました。

 

今回は若い大学生や高校生など東京大空襲についての知識があまりない人を対象に応募を募りました。10代~60代までの幅広い年齢層の6名にご参加いただきました。

 

1日のスケジュールとしては、

両国駅集合→言問橋(ことといばし)→横網町(よこあみちょう)公園→会議室

という流れで移動し、会議室で感想の共有とディスカッションを行いました。

 

両国駅と横網町公園の位置関係

オレンジ=両国駅紫=横網町公園
「言問橋の欄干と縁石」は「徳川家康像」のあたり

 

まず、参加者の自己紹介、本日の趣旨を説明した後、代表より東京大空襲とはいったいどういう出来事であったのかという概要の説明を行いました。これはhistory for peaceで作成したテキストを用いて行いました。

東京空襲の解説

 

言問橋(ことといばし)の欄干(らんかん)と縁石(えんせき)

言問橋は隅田川にかかる浅草と向島(むこうじま)を結ぶ橋です。
東京大空襲の際には、浅草方面の人々と向島の人々が対岸への避難を試みたため、両者が橋の上でぶつかり合い、進むことも戻ることも出来ない状況の中で多くの人がなくなりました。1992年から実施された改修工事で取り外された欄干や縁石が、隅田公園や江戸東京博物館の屋外通路で展示されています。今回はその屋外通路にある展示を見学しました。

言問橋

 

その後、今回のイベントのメインである横網町公園へと移動しました。

 

横網町公園全体の解説

横網町公園は、元々陸軍の被服廠(ひふくしょう=軍の服装などを作る工場やそれを保管する倉庫)があった場所でした。被服廠が移転し、公園が造成されているさなかの1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生。その当時空き地となっていた被服廠跡地には大勢の人々が家財道具を積んだ大八車を引いて集まってきました。そこに、折から発生した火災に周囲を囲まれてしまいました。そして迫りくる炎は人々の家財道具や衣服に飛び移り、集まっていた人々もろとも焼き尽くしてしまいました。火が収まった後、被服廠跡にはうずたかく積みあがった焼死体の山ができたと言います。ここで亡くなった方はなんと3万8千人。これは約10万5千人といわれる関東大震災の死者・行方不明者の36%にのぼり、震災における最大の被害者を出した場所となりました。そしてこの場所に、震災の犠牲者を慰霊し、記憶にとどめるための施設が建設されることに。1930(昭和5)年、横網町公園として開園しました。

震災から22年後。東京大空襲によって、またもやこの地は多くの人が犠牲となってしまいました。現在、東京大空襲の犠牲者も合わせて慰霊と記憶の継承のための公園として再整備されています。毎年関東大震災の9月1日と東京大空襲の3月10日に、春秋の慰霊大法要が開催されます。

横網町公園の説明

 

幽冥鐘

弔霊鐘は、関東大震災によって、遭難死した死者の弔いのために中国仏教徒からの寄贈によるものです。当時、中国では震災の悲惨な凶報を聞き、日本と交流が深かった上海などのお寺ではそれぞれ念仏法要が行われました。その後、震災記念堂の建設計画によって、この横網町公園に安置されることになりました。

 

震災遭難児童弔魂像

この像は「悲しみの群像」というタイトルがつけられています。関東大震災によって亡くなった約5000人の児童のため、当時の学校長達が中心となり、寄付を呼びかけました。そして18万人の人達の協力によって寄付金が集まり、彫刻家に依頼。昭和6年に建立されました。その後第二次世界大戦後の激化に伴って、金属回収の対象となり、台座だけが残っていた時がありました。戦後、昭和36年に当時の作者の弟子であった2人によって再建されました。

 

朝鮮人犠牲者追悼碑

関東大震災の折、朝鮮人、中国人、社会主義者などが暴動を起こした、井戸に毒を入れたなどのデマが広まり、数千人とも言われるそれらの人々が虐殺されました。この碑は、その際に殺された朝鮮人犠牲者を弔うものとして設置されています。

 

東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑

東京空襲の史実を風化させることなく、平和が永く続くことを祈念するため2001年に建設されました。 この碑の建設に当たっては多くの方々から寄附が寄せられました。毎年東京大空襲の3月10日と関東大震災の9月1日には、内部が公開されており、そこには東京空襲犠牲者名簿が収められています。その名簿は、犠牲者の遺族のみが閲覧することが出来ます。

 

東京都慰霊堂

関東大震災の犠牲者約5万8千人と、東京空襲の犠牲者のうち身元不明の方約10万5千人の合わせて16万3千人の遺骨が納められています。堂内の一般の人が立ち入ることのできる部分は、中央奥に慰霊の場があります。右手上に関東大震災の様子が描かれた大きな絵が、そして左手上には東京空襲の写真が飾られています。

 

慰霊堂を後ろから見たところ。この部分に遺骨が納められています。

 

復興記念館

最後に、当日3月9日にリニューアルオープンした復興記念館を見学しました。復興記念館は1階と2階の中心部分は関東大震災の解説や関係資料があり、2階の壁に沿って東京空襲の解説パネルや当時を偲ばせる品が展示されています。

 

感想共有・ディスカッション

横網町公園内のガイドを終え、両国駅周辺の会議室で、感想の共有をし、ディスカッションを2グループに分かれて行いました。

ディスカッションのテーマは、「東京大空襲を専門的に扱った公的な資料館や慰霊の場所がなく、また現在あるものも規模としては広島・長崎・沖縄のものより小規模。東京大空襲専門で、かつより規模の大きい資料館は戦争の記憶を残すために必要であるか」ということを参加者で話し合いました。

今回参加していただいた方達の感想を一部ご紹介します。

  • 東京大空襲について考える機会になりました。また、記憶の残し方としてのあり方を今まで自分の行ったことのある場所と比較して考えることができて良かったです。
  • 共有、意見交換の場で出た意見等をまとめて、横網町公園行政担当者や地元関係者に文書で報告を入れておくとよいかと思います。
  • とても刺激的な楽しいひとときでした。どうもありがとうございました。

 

history for peaceでは、夏に様々な戦争体験談を聞けるイベントを計画中です。詳細はまた、お知らせしていきます。スタッフ一同、今回のガイドイベントでの反省を活かしつつ、イベントを行っていこうと考えております。これからもどうぞよろしくお願いします!

 

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